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(1) 帝都の豹

 

なにごとも思い込み、というものはある。

小林信彦の「和菓子屋の息子」(新潮文庫)という自伝を読んでいたら、次のような文章にぶつかった。

七月に上野動物園で起こった黒豹脱走事件だけははっきり覚えている。

<凶悪な>シャム(タイ国)生れの黒豹が上野動物園の<頑丈な鉄の檻を破って脱走>したのは、七月二十五日の早朝五時である。」(p70)


これは、と乱歩好きならおもうだろう。ここで「人間豹」を思い出さないわけにはいかない。この事件が「人間豹」のモデルになったのなら、しめたものである。そこでさっそく本を取り出す。

しかしあにはからんや、物事はそうそううまくはいかない。乱歩が「人間豹」を発表したのは昭和九年、しかしこの黒豹脱走事件がおこったのは昭和十一年だったのである。乱歩のほうが先だったとは!講談社から出版された「貼雑年譜」になにか感想でものっていないか、とパラパラ捲ってみてもなにも発見できなかった。しかしこれは全部が掲載されているわけではないので、最初の計画通りすべてを復刻していれば、と悔やまれる。もしかしたらエッセイの中にどこか言及している場所があるかもしれないが、今は思い付かない。

何しろ人間豹こと恩田の初登場の姿は、


彼はまっ黒な背広を着た、ひどく痩せ型の、足の長い男で、その顔はトルコ人みたいにドズ黒く


というのだから、豹は豹でも黒豹そのものである。しかしいくら豹だからといって、黄色にぶちの上着ではあまり敵役として締まりがあるまい。それに「その顔はミカンを食べ過ぎたみたいに黄色く…」ではまるでコントの一シーンである。この際、どうしても黒豹になっていただかなくてはなるまい。

しかし物語の最後では花やしきの動物園から牝豹が盗まれ、熊のぬいぐるみに入れられた明智文代にけしかけられている。この豹はふつうの黄色の豹である。本文中にも「人間の白毛染め薬を用いて、豹の斑紋を巧みに染めつなぎ、動物のからだ一面に虎斑を描き上げたのだ」とある。当時は浅草の花やしきで動物まで見せていたのだろうか。なぜ上野動物園ではなかったのか。それは本当に花やしきには豹がいて、上野動物園には豹がいなかったからではないだろうか。その真偽のほどは確かではないが、小林信彦は「黒豹は五月十八日にシャムからきたばかりで、動物園にも人間にも馴れていない」というわけだから、おそらく上野動物園にとって初めての豹で、飼育係のほうも扱いに馴れていなかったので、逃げられてしまったのではないだろうか。
この黒豹は動物園近くのマンホールに潜んでいたところを檻においこまれてあっけなく御用になってしまったそうだが、小林は「警官隊と黒豹の死闘は銀座通り、できれば服部時計店(現・和光)の交差点あたりでくりひろげられるべきであった」といっているが、これこそ乱歩の世界であろう。最後は服部時計店の時計台からアド・バルーンに乗って、東京湾の方向に逃げてもらいたいものである。

ちなみに冒頭にかかげた写真に写っている上野動物園正門は、現在の都立美術館の裏に現存している。かつてはそちらのほうが正門だったのだ。上野公園に行かれた際にはぜひここまで足を伸ばしていただきたい。

 

戦前の上野動物園正門