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(9)パノラマ館

 






これは乱歩を語るうえで欠かすことのできないキーワードの一つである。彼は繰り返しパノラマ館を作品のなかに登場させている。大人むけ作品を調べてみたところ、以下のような言及がみられた。



パノラマ館の中にはいると、外のものが消え去って満州の平野がひろがった(パノラマ島奇談)。


国技館の菊人形は、明治の昔流行した、パノラマ館、ジオラマ館、メーズ、浅草の十二階などと同じ、追想的ななつかしさがあった(吸血鬼)。


ジロ娯楽園には明治時代懐かしきパノラマ館があった(地獄風景)。


宗像はむかしパノラマという見世物があって、その通路にお化け大会の通路がにているといった(悪魔の紋章)。


チョビひげはパノラマ館の歴史をかたった。明治時代のパノラマ館は、多くは満州などの戦争の景色をあらわしていた。地底パノラマ王国とは、中央線沿線、荻窪の少し先にあり、チョビひげがつくった。影男が案内され、最後はここで逮捕された(影男)。


園田大造こと畔柳友助は鶴見遊園パノラマ館をつくった(蜘蛛男)。



このように乱歩に多大な影響を与えているパノラマ館であるが、はたして乱歩自身はどこで実際にパノラマ館を見たのだろうか?彼の随筆をざっと調べてみると、「悪人志願」所収の「旅順海戦館」ぐらいしか言及を発見することができない。この中で乱歩は


私の見たのは明治四十何年だったか、名古屋に博覧会が開かれた時、その余興の一つとして興行された旅順海戦館であった。キネオラマ応用とかで、(中略)幕が開くと、舞台一面の大海原だ。一文字の水平線、(中略)舞台の一方から東郷艦隊が、旗艦三笠を先頭に、勇ましく波を蹴って進んで来る。(中略)パノラマ風の舞台で、おもちゃの軍艦が、見ているうちにさも本物らしく感じられる。


と述べている。これはどうやら本当のパノラマ館ではなく、舞台上の人形劇であったように思われる。乱歩自身も「パノラマ風」とはいっているものの、「パノラマ」とは言い切っていない。本来のパノラマであるなら「円筒形の建物の内側にひと続きの絵が掛かり、それを観客が建物の中心部から眺めるというもので、イギリスの画家ロバート・パーカーの発明になり、パノラマという名称もこの時の造語」(木下直之「美術という見世物」所収、「パノラマ」、1999年、ちくま文芸文庫)と定義されるものであるから、「旅順海戦館」は舞台や幕がある点でまったく失格と言ってよかろう。

しかし乱歩は同じ随筆の中で「私は影絵芝居を見、パノラマを見たそのおなじ町の中の広っぱで、この八幡の薮知らずをも見た。それら三つのものは、つながって私の記憶に浮かぶのだ」とあるのだから、「旅順海戦館」はやはり乱歩はパノラマとして認識していたのか、それともまた別のパノラマをその興行師が立ち寄る広場で見ていたのだろうか。「旅順海戦館」や「影男」での説明ではパノラマの定義はしっかり把握してたように思われる。ということは、また別のパノラマが名古屋で興行されていたのだろう。

橋爪紳也の「明治の迷宮都市」(平凡社、1990年)所収の「パノラマ館考」によると、名古屋におけるパノラマ館興業は明治32年9月20日の名古屋榎町愛知パノラマ館が年表に掲載されている。また京都新京極のパノラマ館は明治24年9月に観客不入りのため名古屋へ売却され、そこで公開の予定だともかかれている。

乱歩は明治27年生まれであり、30年に名古屋に転居しているので、愛知パノラマ館を見物していたことは十分考えられる。だが大きな東京のパノラマ館についてはどうだろうか。代表的な浅草の日本パノラマ館は明治43年にとりこわされている。大阪の難場停留所前のパノラマ館は日本最大であったが、明治25年には売却処分となっている。大阪ではパノラマは人気がなかったと橋爪は前掲書で述べている。乱歩が上京したのは明治45年であったから、それ以前に物見遊山で東京に来たかもしれないが、あまり確証はもつことができない。パノラマは日露戦争後にはすっかり下火になってしまったので、乱歩は東京の大パノラマ館をみてはいなかった可能性もある。

ただずっと時代は下って大正14年の大大阪記念博覧会では「大阪の都市風景を再現する一大模型であり、「パノラマ館」と呼ばれるテーマ館に収納された」(橋爪、前掲書)という催しがあった。このころ乱歩はすでに探偵小説家として活動していたが、大阪は縁の深い場所なのでいっていたとしても不思議ではない。


さて、現代パノラマを見ることはできるであろうか。実は筆者は一度だけ見たことがある。残念ながら国内ではない。スイスのルツェルンという町である。7,8年も前だろうか、スイスに旅行した折りに偶然発見して見ることができた。ブルバキ・パノラマ館という。乱歩が作中で説明した通り、地下通路をくぐって中に入ると、ドーム状の巨大な建物の中にはいることができる。そこにはナポレオン戦争の一シーンが再現されていて、手前には等身大のろう人形、中景にはもっと小さな人形、そして背景には油絵がかざってある。かなり年数がたっていたらしく、人形がくたびれているのは致し方なかった。このパノラマ館は現在もまだあるようで、ガイドブックにも掲載されているから、機会があれば行ってみたらいかがだろう。